身体の中にある鍵盤
歌というのはどのようにすれば
上手く歌えるようになるのでしょうか。
僕がドラマーから歌い手さんにシフトして
歌いはじめてから、この問題は
僕にとっての永遠の課題となりました。
一言で言うと声帯も筋肉ですので「訓練」なんですね。
訓練の仕方がよければ伸びてくる、と。
巨人の桑田投手が腕を傷めて
長期リハビリしてたことがあります。
そのときのドキュメント番組をたまたま見ていたのですが
彼の一球に対するこだわりを見ていて
まるで歌のようだ、と思いました。
投げる場所は自分でイメージが出来てるわけです。
でも手術したため、そこに投げられないんですね。
だから、そこに投げられるよう来る日も来る日も
投げ続けるわけです。
投げる先のイメージがある以上
そこにいつかは投げられます。
再び腕の筋肉と勘が戻るまでの辛抱です。
声も似ている。
音程は頭の中に出来ています。
その音を出すだけなんです。
思い通りに。いつでもどこでも。すぐに。
真ん中に投げるとする。
真ん中に投げるための筋肉の動き、
腕の動き、手首の動き、それらが一瞬にして
桑田の身体の中で再生され、実現されます。
それは勘ともいえますが、というよりはデータですね。
身体に備わったデータです。動きのデータです。
声も一緒なんですね。
A3の音を出すときの腹筋、声帯、息の強さ、口の形…
それらが一瞬にして再現される。
その為に身体にインプットしてあるデータ。
そのデータが楽譜を見た瞬間、呼び出されるのです。
このデータを自分で作らなければならない。
ソフトじゃないんだから
買ってきてインストールなんて出来ないんです。
桑田のごとく。
延々投げ続け自分で掴むしかないのです。
歌の上手い人は誰?と聞かれたときに、僕は
いつも「美空ひばりとポール・ロジャース」と答えます。
この方たちは
脳の中で思い描いた音程をそのまま出せる
素晴らしい声帯の持ち主です。
つまり素晴らしい耳の持ち主であり、
素晴らしい自己データの持ち主でもある、と。
歌には個性とか味とかそういった付加要素があって
魅力になってますね。
それを否定なんか、もちろんしないんですが
やっぱりコントロール完全な人は尊敬しますよ。
それだけで、宝といってもいいです。
この話は奥が深いので
また続きを書くかもしれません。
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