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2004年6月24日

逝ってしまいたくなる様なコード進行

ポルナレフの仏版シングル全集を録音してある
DATテープを今日聞き返してチェックしてみた。
これはミックス違い研究用に、とある方から
アナログシングルをお借りし、録音したもので
オリジナルミックスがほぼ全て揃っている。
素晴らしいコレクションです。

それでグッバイマリルーを久々に聴いたのだが
あいかわらず良いね。
久々にピアノで弾いてみました。

以前、
逝ってしまう様なコード進行の話をここで書いた。


僕にとってはマリルーもまさにそれにあたるのだ。
上の記事に書いてるとおり、これも4度くらいの
循環進行になっているのが特徴かな。

ポルナレフファンの中では
マリルーをあまり好きではないという人も居ます。
以前その人たちに理由を聞く機会があったのですが
定番過ぎるとか、売れ線をわざと狙っているから、
というものが多かったかな。
で、逆に貴方はなぜ気に入っているのか?と
突っ込まれたのだが、なんか面倒になって
説明せずに撤退してきてしまった。

僕がこの曲を作る立場だったらどうだろう。
そう思うのだ。
マリルーも、上の記事で出ている曲も。
造っているときの気持ちがわかるんだよな。

集中力がないと出来ないのよ。これは。
元となっている雛形の進行が定番だから、
気を抜くとすぐにありきたりの物になってしまう。
ちょっとづつ直しながら、微調整しながら
自分のカラーに変えて行く。
ベストなチューニングに合わせていく感じ。
そう。ラジオとかエンジンのチューニングと一緒なのだ。
行きつ戻りつ、ベストポジションを探す。
ここだ!となったときに、あのスタイルになるのだ。
よく説明できないけど
全宇宙から(笑)エネルギーを集める感じだろうか。

だから自分ではこれがツボだと知っている。
というか、ツボとして作ったわけ。
自分がそう思って作っただけだから、
他人には判らないこともあるさね。
でも、そのアーティストの他の作品を
多数知っていて、その作風を捉えていれば、
「お。これは彼のツボだな。」と判る。
そうして作者の気持ちに
自分の気持ちが重なって行くのだ。

今は海賊盤やアンソロジーなどで
アーティストのデモとか製作過程のテープなんかが
いろいろ出てるけども、それらを聴くと、
似たような気持ちになる。
「あーこれはこうしたいんだな」って判るわけです。
これはとてつもなく勉強になりますね。
音楽に限らず映画でもアートでも
メイキングビデオみたいのがありますが
それと同じような位置づけですね。

てなわけで、僕にとってはマリルーが
ポルナレフの気持ちに近づいたような気持ちになれる
今のところ唯一の曲だ、と。いうことですかね。

もちろん好きな曲はたくさんありますが
それは上記過去ログにあげた、
他のアーティストの逝ってしまう曲と一緒で
好きとか、凄いとか
そういうのとは違う概念なのです。

ちょと難しい。

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