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2004年6月25日

身体の中にある鍵盤

歌というのはどのようにすれば
上手く歌えるようになるのでしょうか。

僕がドラマーから歌い手さんにシフトして
歌いはじめてから、この問題は
僕にとっての永遠の課題となりました。

一言で言うと声帯も筋肉ですので「訓練」なんですね。
訓練の仕方がよければ伸びてくる、と。

巨人の桑田投手が腕を傷めて
長期リハビリしてたことがあります。
そのときのドキュメント番組をたまたま見ていたのですが
彼の一球に対するこだわりを見ていて
まるで歌のようだ、と思いました。

投げる場所は自分でイメージが出来てるわけです。
でも手術したため、そこに投げられないんですね。
だから、そこに投げられるよう来る日も来る日も
投げ続けるわけです。
投げる先のイメージがある以上
そこにいつかは投げられます。
再び腕の筋肉と勘が戻るまでの辛抱です。

声も似ている。
音程は頭の中に出来ています。
その音を出すだけなんです。
思い通りに。いつでもどこでも。すぐに。

真ん中に投げるとする。
真ん中に投げるための筋肉の動き、
腕の動き、手首の動き、それらが一瞬にして
桑田の身体の中で再生され、実現されます。
それは勘ともいえますが、というよりはデータですね。
身体に備わったデータです。動きのデータです。

声も一緒なんですね。
A3の音を出すときの腹筋、声帯、息の強さ、口の形…
それらが一瞬にして再現される。
その為に身体にインプットしてあるデータ。
そのデータが楽譜を見た瞬間、呼び出されるのです。
このデータを自分で作らなければならない。
ソフトじゃないんだから
買ってきてインストールなんて出来ないんです。

桑田のごとく。
延々投げ続け自分で掴むしかないのです。

歌の上手い人は誰?と聞かれたときに、僕は
いつも「美空ひばりとポール・ロジャース」と答えます。

この方たちは
脳の中で思い描いた音程をそのまま出せる
素晴らしい声帯の持ち主です。
つまり素晴らしい耳の持ち主であり、
素晴らしい自己データの持ち主でもある、と。

歌には個性とか味とかそういった付加要素があって
魅力になってますね。
それを否定なんか、もちろんしないんですが
やっぱりコントロール完全な人は尊敬しますよ。
それだけで、宝といってもいいです。

この話は奥が深いので
また続きを書くかもしれません。

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2004年6月24日

逝ってしまいたくなる様なコード進行

ポルナレフの仏版シングル全集を録音してある
DATテープを今日聞き返してチェックしてみた。
これはミックス違い研究用に、とある方から
アナログシングルをお借りし、録音したもので
オリジナルミックスがほぼ全て揃っている。
素晴らしいコレクションです。

それでグッバイマリルーを久々に聴いたのだが
あいかわらず良いね。
久々にピアノで弾いてみました。

以前、
逝ってしまう様なコード進行の話をここで書いた。


僕にとってはマリルーもまさにそれにあたるのだ。
上の記事に書いてるとおり、これも4度くらいの
循環進行になっているのが特徴かな。

ポルナレフファンの中では
マリルーをあまり好きではないという人も居ます。
以前その人たちに理由を聞く機会があったのですが
定番過ぎるとか、売れ線をわざと狙っているから、
というものが多かったかな。
で、逆に貴方はなぜ気に入っているのか?と
突っ込まれたのだが、なんか面倒になって
説明せずに撤退してきてしまった。

僕がこの曲を作る立場だったらどうだろう。
そう思うのだ。
マリルーも、上の記事で出ている曲も。
造っているときの気持ちがわかるんだよな。

集中力がないと出来ないのよ。これは。
元となっている雛形の進行が定番だから、
気を抜くとすぐにありきたりの物になってしまう。
ちょっとづつ直しながら、微調整しながら
自分のカラーに変えて行く。
ベストなチューニングに合わせていく感じ。
そう。ラジオとかエンジンのチューニングと一緒なのだ。
行きつ戻りつ、ベストポジションを探す。
ここだ!となったときに、あのスタイルになるのだ。
よく説明できないけど
全宇宙から(笑)エネルギーを集める感じだろうか。

だから自分ではこれがツボだと知っている。
というか、ツボとして作ったわけ。
自分がそう思って作っただけだから、
他人には判らないこともあるさね。
でも、そのアーティストの他の作品を
多数知っていて、その作風を捉えていれば、
「お。これは彼のツボだな。」と判る。
そうして作者の気持ちに
自分の気持ちが重なって行くのだ。

今は海賊盤やアンソロジーなどで
アーティストのデモとか製作過程のテープなんかが
いろいろ出てるけども、それらを聴くと、
似たような気持ちになる。
「あーこれはこうしたいんだな」って判るわけです。
これはとてつもなく勉強になりますね。
音楽に限らず映画でもアートでも
メイキングビデオみたいのがありますが
それと同じような位置づけですね。

てなわけで、僕にとってはマリルーが
ポルナレフの気持ちに近づいたような気持ちになれる
今のところ唯一の曲だ、と。いうことですかね。

もちろん好きな曲はたくさんありますが
それは上記過去ログにあげた、
他のアーティストの逝ってしまう曲と一緒で
好きとか、凄いとか
そういうのとは違う概念なのです。

ちょと難しい。

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2004年6月21日

ジャンク

ポールの歌ではなくて。

僕はよく
コンビニの惣菜が旨いとか
カップめんが素晴らしいとか
牛丼が捨てがたいとか
まぁ言ったりするわけですが

わかってくださっている方も居ると思いますが
まぁ、一応言っておきますが、
そういう簡易食物としてのジャンル内での話ですので
全食物中のランク付けではありませんので
一応断っておきます、と。

ジャンクフーズはジャンクフーズの味、
あるいは夢と言ってもいいのですが、
そういうものがあって、やはり
「永遠のジャンクフーズ」なのですよ。
食いすぎは味覚を壊すかもしれませんがね。
たまに食って郷愁に浸るのも、また良しではないかと。

音楽もそうですが
ジャンク耳、ジャンク舌、ジャンク目なんてのがあります。
何かを判断するときに、総体として判断しているというよりは
初めから、カテゴライズしたうえで
良し悪しを判断してます。あたりまえですけども。
たとえば音楽の好き嫌いを言うにしても
全てのジャンルを一緒くたにして
判断とかはしないですよね。
ジャンクを聞くときにはジャンク耳として聞く、と。
で、ジャンクフーズを語るときは
ジャンク舌で語る、と。そういうことですね。

これっていいのだろうか。悪いのだろうか。
全てを自分の中に取り込み
自分の基準でカテゴライズしたのち
判断を下す、と。
客観的なようで客観的でない。
抽象化してるって言うんだろうか、これ。

難しい。
でもこういうのって楽しいね。

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2004年6月20日

コーラス 追加録音終了

というわけで終わりました。
これで、一応だけど
考えられる全ての声の録音が終了。

あとからまた追加することもあるかもしれないけど
とりあえずは、しばらく声を出すことはないと思います。

やはり一昨日の計画は無謀だったのか、
後半は、かなり端折ってた様子がある。
今日聴き直してみると
本当はもっと歌わなきゃいけないのに
無きゃ無いでも良い、というパートは
録らずに済ませたりしてたね。
それは、面倒くさかったというよりは
あまりにもたくさんのパートをいっぺんに録ったため
そこまで気が廻らなかったものと思われます。
要するに、気分的&のど的に
「歌はおなかいっぱい」モードだったんでしょうね。
だから、自然に「もういいや」となっていた、と。


今日の追加分は痒いところに手が届くような
絶妙なフォローパートとなった模様。
一昨日は無理だと思ってやめた超ハイトーンパートも
今日はあえてチャレンジャーとなって歌いました。
これは、この後に歌う予定が無いからできることだねぇ。
だから限界音出した。超音波だわ、これ。
頭の血管切れそうだったもん。危ない。
出来るのは今だけだな。たぶん。

で、しっかりバックアップとって
明日からは編集作業です。
それが暫定的に整理されたあと
いよいよ白玉系装飾楽器のオーヴァーダブに移る。
つまり、オルガンとかそんな楽器を入れるわけです。

これも本職じゃない私にとっては重労働。
キーボード系の伸ばす音って
センスとかが、もろに出るからなぁ。
ヴォイッシングや音色の選択センスですね。

来るその日のためにいろいろ予習をしておこう。

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2004年6月19日

Vocal 録音のキモ

昨日は一日中ハモリを録音していました。

以前にもどこかで書いたんだけど
リードヴォーカルを録ってるときは
だんだん身体がへたってくるのに対して
コーラスを録音しているときは逆に
歌えば歌うほど声が出てきて、
だんだん冴えてくるというのが不思議であるな。

始めの予定では
昨日一日でハモリの全てを録ってしまおうという
いささか無謀な計画だったんだけども
ほぼそれは達成されたといってもいいかな。
ともかく、朝10時から夕方4時まで
休憩挟みながらではあるけど、歌い続けたんだよ。
着ていたシャツとか汗だくだったもんな。
これは持久戦というか、体育会系であるな。
腹筋とかも使うから腰や腹なども痛くなる。
本当に身体が資本だわ。

さて、一応OKというところまで
考えられる全てのフレーズを録音したのだが
やはり時間を空けてプレイバックしてみると
過不足はあるもんだよね。
なんか、主旋の上に付けてるハモリが多いな、
とか、いろいろ粗が見えてくる。

これも以前とは違って
チャンネルの制限がないから
もう録れるだけ録りまくって
あとから選ぶってことが出来るわけ。
でも、慣れてないとやはり
そこに甘えてしまうところもあって
結局今回のように、どれもグッと来ない、
なんてことにもなりかねないわけで。
システムがどうあろうと、
やはり練らなきゃいけないものは
練らなきゃいけないのだなぁ。

というわけで
明日不足分を付け足すことになるな。
その後は地獄の編集作業が待っている。
地獄だけど楽しい作業。
宅録マルチトラッカーの真髄だもんな。

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2004年6月17日

帰ってきたウルトラマンの歌

を、むかし友だち数人で歌ってたとき、最後の
「帰ってきたぞ、帰ってきたぞ、ウ〜ルトーラーマ〜ン♪」
の「ウ〜ルトーラーマ〜ン」の部分で、
誰も主旋律を歌わず、全員下のハモリパートを歌ってしまい
みんなで大爆笑したことがある。

アレは主旋律(上のパート)がリードヴォーカルで
下のパートは児童合唱団なんだが、その下のパートが
妙に目立つんだよね。
しかも友達は全員音楽関係つながりだったから、
この歌を歌い始めたときから、もう
それぞれが、自分こそあの下のハモリを歌うのだ!と
密かに心に決め、虎視眈々と狙っていたはずなのだ。
その顛末が、全員ハモリしか歌わなかった、
ということで見事なオチになったわけだが。

これって割と頻繁にある話で
ほかにも有名な曲(隅田川とか)でなら
じゅうぶん起こりうる話である。
もちろん初めから決めていればそんなことはないが
盛り上がった場でいきなり誰かが歌いだしたりすると
みんな唱和した段階で全員ハモリだったとか、
よくあったりする。
別に童謡とかじゃなくても
ビートルズの曲とかでもある。

ハモリや対旋律が目立っていて
メインを食っているというのは
自分としても好きなパターンなんだが
これを実際作るとなると、なかなか大変なのだ。
別に作ること自体はそう難しくもないけど
判断に迷うのだ。
当たり前の話だが、曲を作る場合、
主旋律も自分が作っている。
一生懸命考えて作った主旋律。
かわいいじゃん。
で、それにハモリを付ける。
ついつい印象的でカッコイイハモリにしてしまう。
結果、主旋律を食ってしまう。
あー、あんなに一生懸命作った主旋律なのに
目立たなくなってしまったのね、と。
そういうジレンマに陥るのだな。

特に自分でコーラスをつけた場合、
プレイバックしても、どうしても
その部分に耳が行きがちで、
いくらバランスを下げようとも
なんかコーラスのほうが目立ってるなー
ってなってしまう。

これも一人でやっている弊害だろうね。
誰かにジャッジして欲しいとすっごく思うね。
特に歌録りのときには強く思う。

監督とエディタの関係みたいな。
オレはやるだけやった、
あとはオマエが好きにブッタ切れー…みたいに。
お任せできればどんなに楽かと思うな。
でも、結局満足できずに
全部自分でやり直しちゃいそうだな。はは。

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2004年6月16日

歌える自分を誇りに思う

昨日も一日Vocal録り。
サビを歌い直そうかと思ってやってみたが
前回と変わらんので、ストックにした。
その後歌詞を変えたワンフレーズだけを
延々歌いなおし、テイク1000くらい(笑)やり直した。
何やってんだオレは。
まぁその前後の歌い方と合わせなきゃいけないんで
しょうがなかったんだけど。

前の機材はマルチで8chだったから大変だったけど
もうチャンネル不足に悩むことはない。
その代わり、決定が先延ばしされてしまって
無駄に時間がかかるという難点もある。
たとえばいくつもテイクを録って
どれをOKにするか決めかねている場合
全部ストックにしておいて
後から良い部分だけ繋ぐという編集が出来る。
たったワンフレーズでも実は1000テイク(笑)から
良い部分だけ抽出したもの、ってこともあるわけ。
これは時間があればいくらでも出来ることで
「これで終わり」と決定するのは自分の意思のみ。
もうチャンネルがないからこれでOKにするしかないな、
…みたいな限界とかがないからね。
だから、厳しいっちゃぁ厳しいかもね。

その後最後のサビにかぶさる
追っかけメロディを重ね録りし、
これで一応メインVocal部分は終了した。
今日はその録った部分の選択と編集。
これは一人でやる場合、日を改めないと駄目です。
耳が選べません。

明日からは待望のChorusに入ります。
これは楽しいですね。
元々バンドでずーっとハモってた人間なんで
メインにハモリを重ねるのが、
オレのキモであるといっても良い。
でもまぁ楽しいといっても
録音している間だけの話で
プレイバックすると、なんかアレなんだけどね。

今までの流れを見ても思うけど
自分は、歌えるってことで
自分自身を支えているってことが
よーく判る。
歌わなきゃいけないからこそ
節制するし、自己管理するし
体調、体力、全てその為に調整されているわけ。
風邪とか引けないわけだし。
歌わなくていいなら、もっと
遊び三昧、放蕩三昧、不摂生三昧でしょう。
楽しそうな毎日だなぁ。

今の自分は、自分が歌手であるという自負や
自己暗示(笑)が支えていると言ってもいいのだ。
こんな自分でも、それがあるおかげで
今までどれだけ救われたか、助けられたか。
すばらしいことだねぇ。感謝しないとね。
誰に?親とか神にですかね。
まぁ誰でもいいけど。ありがとう!

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2004年6月13日

The Lost 木曜日?

いやー。木曜日。すごかった。
なんだろなって感じで
最悪の事態の連続技だった。
さすがに凹んだけどね。
まぁーこれが今年一番ヒドイ日だと思えば
これ以降はこれほど落ち込まないだろうということで。


さて。
昨日今日とVocalの録音をしたわけだが
OKなのかNGなのか、どうも良く判らないのだ。
録音した直後は、とかくなんでもわからないものなのだが
全てを自分で判断しなきゃいけないのはなかなか辛いものだ。
前に清原に例えたけども、
今回もそれに準えるとするならば
まぁなんとか抜けて三塁打くらいって感じだろうか。


僕の曲はメロディラインが難しいといわれる。
自分でもわかってるんです。これ。
でもな。ついつい動きまくってしまう。
作るときは仮歌とか鼻歌でしょ。
だから平気なんだけど、
本チャンはしっかり歌わなきゃいけないから
大変なんだ、これが。
作曲家が別に居て俺が歌うだけの歌手だったとしたら
「こんなの歌えねえよっ!」と切れてしまうだろう。
でもな。相手は自分だから。
こないだも書いたけど、自分の挑戦に
自分が応えて勝たなきゃならないわけさ。
ピッチャーの自分が投げた球を
自分が打ち返さなきゃならないみたいなもん。

だからこそ大変だけど面白くもある。
人生、苦とかなけりゃつまらないじゃん。
老いとかにも、これからは
打ち勝っていかなきゃいけないじゃん。
声は肉体だから、必ず朽ちるんだ。
落ちる人工衛星だね。
落ちるのは止められないが
それを先伸ばすことは出来る。
その為にがんばるわけだ。
ぼーっとしてるわけにはいかんのだ。

よしゃっと。

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2004年6月10日

ビルブラ

この前、YESにいればよかったのに、とか書いたけど
さすがに放言が過ぎると思ったんでフォローしましょう。

ビル・ブラッフォードのスネアは
そのタイムといい音色といい芸術の域です。
それは書きましたね。
問題はクリムゾンでどうだったかです。

結論から言うとクリムゾンの曲本編のレベルは
明らかに彼の能力を超えていたと思います。
ただし。

インプロ部分に関してのパフォーマンスは
素晴らしいものであり、
過去のクリムゾンの歴代ドラマーの中でも
最高レベルだと思います。
つまり彼の右に出るものはいません。
しかしクリムゾンの場合、
本編の構成や拍子進行が鬼のように難しく
その部分をさらっと演奏するには
並大抵のテクニックでは無理ですね。
ブラフォードは、その部分が苦手だったのでは?
彼の演奏の端端から、そういう様子が伝わってきます。
インプロが素晴らしいということは
その部分は心のそこから、まったく自然体で
プレイできているということです。
澱みや迷いもまったくありません。
それに対して本編の決まった部分では
ところどころ、よれたり詰まったり
引っかかったりミスったり。散々なんですね。
これは把握しきれずに、構成を
考えながら演奏しているということです。
次の手を考えながらプレイしているので
一瞬遅れたりするわけです。
また、乗ってしまって我を忘れてしまい
つい勢いで突っ込んでしまったとか、
そんなケアレスミスもあります。
数々のライブ音源から伝わってくる
彼の演奏とは、こんな印象である。
要するにオーバースペックだった。
無理してやっていたな、と思われるわけです。

これはもちろん対比するものがあるから
比較できるのです。
例えばUK分裂直前未発表ライブ音源などで
2nd収録曲のブラフォードバージョンが聴けたりしますが
もうメタメタで目も当てられません。
後任のテリーボッズィオとは雲泥の差です。


ですが後期〜復活クリムゾンに於けるドラマーが
ビルブラフォードじゃなかったとしたらどうでしょう。
これは前回の話へと帰結するのです。
もしクリムゾンにバカテクドラマーが居たとしたら
果たしてどうだったか。

ロバートフリップ氏のファーストアルバム、
エクスポージャーにその答えがあります。
ここで参加したドラマーはナラダマイケルウォルデン。
超技巧でフリップの変拍子曲を完璧に演奏します。
見事です。
で、全部聴いたあとに何を感じるかというと、
「だからなに?」。

必ずしも饒舌なことは意味のあることではない。
意味があるのは一つ一つのショットなのです。

ビルブラはクリムゾンにとって完璧ではなかった。
けれど、素晴らしいインプロヴィゼーションの
パフォーマンスを多数残したし
意味のあるたくさんのタイムとショットを残したし
ラストアルバム「RED」で
クリムゾン史上最高のプレイを残しました。
その栄光は決して消えるものではないし、
誰もが愛してやまないものだと思います。
もちろん僕もです。

でも 8人YES のときのプレイ、かっこよかったんだよなー。
やっぱり 8 Beatの神だと思うんだけどな。

ぶつぶつ。

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とはいうものの

ポップスでドラムが凄く上手かったらどうだろう。
あまりに普通に流れてしまい
あまり耳に残らないのではないだろうか。
愛の休日なんかはメロや歌が独特だからアレだけども
それでも綺麗でソツなく・・・というイメージはある。

バタバタドカドカモタモタドラムだからこそ
ELOもPILOTもBeachBoysもELPもクイーンも
妙に耳に残るのだ。
そうじゃなければ、
BB5はただのナツメロだし
ELOは産業歌謡曲だし
ELPは超技巧集団だし
クイーンはプログレだし。

ドラマーがアレだからこそ
他メンバーも他の部分に力を入れざるを得なかった。
やる音楽自体が変わっていた可能性があるのだ。

ビートルズだとその立場は
ジョージハリスンかねえ。おっと。

レコーディングでソツなくこなされると
どうしていいのか判らないことがある。
一時期日本で流行ったLA録音なんてのがそうね。
どれもこれもつまらなかった。
演奏が上手いだけで主張も心も何も伝わってこなかった。
あまりに上手い演奏を見せられると
ディレクターとか何を言っていいのか
わからなくなってしまうのだ。
どのテイクもOK!ってなってしまって。
ポルナレフのUSAもその傾向かな。残念だけど。

LAのミュージシャン自体のカラーがそうではないことは
後のTOTOが証明した。
彼等がやる気になったときの音楽はマトモだったからだ。
使いこなせない、というのはこういうことだったのね。

米国ミュージシャンに比べると
英国人も日本人も不器用で下手である。
そこが独自のカラーを生み、
個性を生み、独特のグルーヴを生み、
ロックを生んだのだろうな、と思う。
対象に憧れ、模倣し
まったく新しいものを生み出した、と。
でも実は不器用だっただけとか。
すごいすごい。

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2004年6月 9日

8ビートは頭2拍で決まる。

このとおりです。
「愛の休日」で確認してみましょう。
2番ドあたま Drumsがインテンポになって入ってくる場所、
歌の出だしの「Ho〜」が2拍目です。
この場所にはスネアがあります。
パターン「ドッスコ・ダ」の「ダ」の部分です。
素晴らしいです。
この「ドッスコ・ダ」たった二泊だけで
このドラマーが素晴らしいということがわかります。

フィルコリの項で
8Beatについてちょっと書きました。
ロックの始まりの経緯からすると
やはり肝は8Beatだと思われます。
これが不得意だとちょっときついかな。
なので気にするようになったのだと思います。
気持ちの良い8Beatはトリップできます。

先に述べた二拍目までのタイム。
これのタイムが素晴らしい人は
優れた8Beatドラマーといえます。
オフビートが命、究極のエイトビートってわけ。
リンゴスターは実にこれが上手いんです。
左利きだねぇ。二拍目スネアの位置は利き腕。
同じ理由でポールもなかなか。
リズム自体はモタモタだけど
例えばComing Upのスタジオバージョンとか。
二拍四泊のスネアがビシッと見事です。
ストーンズのチャーリーワッツは
多分それを判ってたんじゃないかと思う。
おなじみの二拍四拍ハイハット抜き打法は
彼なりにそれを研究した成果だと思う。
クレバーだねぇ。感心します。

僕は基本的にジャストの人が好きなんだけど
この2拍目が決まっているなら、
リズムがむちゃくちゃでも
それほど苦にはならないらしいと気付いた。
これに気付いたのはデニス・ウィルソン(BB5)のおかげ。
リズム感もテクニックもめちゃくちゃだが
二拍目スネアは神がかり的素晴らしさだと思う。
なんと彼も左利きだ。
ビーチボーイズは彼のおかげでロック足りえた。
彼亡き後、グループが崩壊したのも必然だろう。
彼がいなけりゃ、ただのナツメロだ。

同じようなスタイルではELOのベヴ・ベヴァンがいる。
彼もバタバタ系だが妙にカッコイイ。

ビルブラフォードのスネアも見事ですね。
その音色といい、芸術の域でしょうね。
ただ彼は不可能に挑みすぎました。
明らかに彼にとってクリムゾンは
オーバースペックです。
はっきり言うと彼はクリムゾンを叩けてません。
UKもです。YESにいればよかったのに。
テリーボッズィオのほうがはるかに良いプレイをしてる。
残念だけど。

サイモンフィリップスもまったくだめだなぁ。
コージーじゃない、ELフィリップスは見てみたかったけど。
ビートものは彼は向いてないと思うなぁ。
なので彼のTOTOも駄目。

ジェフポーカロはとてつもなく素晴らしいです。
テクニシャンの中で唯一ドライヴ感のあるプレイヤー。
本当に惜しい人を亡くした。

そしてボンゾ!
あの「Rock And Roll」を聴いたか!
8Beatをあのように叩ける人は他にまったくいませんね。
いません。神に誓って断言。

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フィルコリ

昨日書いたファルセットに関しての文章を
判りやすい様に校正したら消えてしまいました。
なので削除しました。
やはり。
まだ語ることではないね。
時期尚早だった。
自分の最期を悟った時にでも
改めて語りましょう。


私はドラマーでしたが、元々は
好きで始めたわけではありません。

当時ドラマーで且つ歌うというような人は
あまりいませんでした。
あくまで裏方だったのです。
僕は元々歌を歌いたかったのですが
まだ準備とかもできていなかったし
そもそも双方を両立させられるとは思っていなかった。
いつかはシフトしようと
多重録音などで作品をためてはいましたが。
例の「高田馬場」みたいな実験的なのばかりでしたね。

そんな私たちに夢を開いた人物、
それがフィルコリンズだったのです。

ドラマーとしての彼はどうだったか。
個人的意見ですが 8 beatは下手です。
ですが、それ以外のテクニック、
タイム感やグルーヴ感は卓越したものがあります。
つまり、総合的にはかなり上手いです。
BrandXよりもGenesisに於ける
シンフォニックなプレイのほうが
タメがあってかっこいいですね。
ライブのロスエンドスとか名演だと思う。
ファースオブフォフス中間部とか。

彼はゲートとかバリライトとか
さまざまな分野でも才能を発揮しました。
彼の提案するどのアイディアも
「こうだったらいいな」というツボを
実に心得ていて、素晴らしいものです。
心得すぎていて嫌味なくらいです(笑)。

彼はドラマーですが
たぶんプレイしているときは
自分がドラムだけ演奏しているつもりはないと思う。
一緒に空間を生み出しているのです。
優れたドラマーならば、全てのタッチ、
サスティンをスティックでコントロールできます。
その一つ一つの音の粒が全体の雰囲気を決めるんです。

歌うドラマーと歌わないドラマーとの違いはそこだな。
僕にとって彼は全てにおいてツボだった。
というか、「これってアリなんだ!」という存在。
壁にぶち当たってあがいていた自分に
こういう道があるんだよ、と教えてくれたのです。

ドラムだけに限れば
マイケルジャイルズやボンゾのほうが
はるかに好きなんだけどね。
あ、リンゴも忘れちゃいかん。

でもフィルコリに学んだものは
限りなく多い。まさに大先生なんだな。

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2004年6月 6日

SansAmp

ギターも Bassも同じ経路から
ライン録音するので、両方 Sansampという
アンプシミュレータを通して録音されます。
当たり前だけどBassとギターのセッティングが違うから
双方の楽器を交互に録音したりするのは
セッティング変えるの面倒なのでできれば避けたい。
ので、過密スケジュールになる、と。

実は同じ会社(Tech 21 NYC)から出ている
Bass用のもあるんだけど、
結局買わないまま10年過ぎてしまった。
まぁこれからは Macのプラグインを
使うようになるかもしれないし。
要らないんじゃないかなという気もする。
便利なら買うかもね。

弦楽器の録音は大変だけどやっぱり楽しい。
ヘタクソだけど。
バンドっぽい楽しさが残ってる部分だからかな。
なんでも一人でやってしまうポールや
トッドラングレンのことをあまり良く思わない人もいるけど
かっこよくできるのなら、全然OKだと思う。
これは一人バンドなのだ。

てなわけで弦楽器 Days は、ひとまず終了。
これから Vocalの録音に入ります。
これは自分との戦いなんだわ。
バッターボックスに入る清原みたいな気分です。
まだ俺は打てるか、
あのボールを打ち返せるのか、
それは遠くまで飛ぶのか、
すべて賭けでもあるし、戦いでもある。
自分自身との勝負。
メロを作った自分自身の期待に
自分自身が応えて
より以上のものを提供しなければならない。
こればっかりは、自分で
「出来る」と信じるしかないのだわ。

ま、ちょっと作戦を練っておこう。

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2004年6月 5日

ロイヤル・オーリンズ

僕はギタリストじゃないんで
フレーズや音や考えるのにも実に苦労します。
いろんな人のプレイを参考に
なんとか無理やりでっちあげるわけですが
その参考にさせていただく方は
けっこう割合的にペイジ先生が多いのです。

彼のプレイは
元レコーディングミュージシャンだった、
ということもあって多角的な感じがします。
いろんなことをやろうとしてるんだけど
それほど上手いわけでもないんで、結局
自分の型になってしまうんですが
それがまたかっこいいわけです。
中期以降登場してきた独特のファンクスタイルとか
本家の人たちに比べると、無骨で面白いんですね。
映画「永遠の詩」のWholeLottaLove後半とか
プレゼンス収録の数曲とか、
ああいった16カッティングものは
良く使わせていただきましたわ。
あれは歪ませてるというのがミソでしょうね。

永遠の詩サントラなんかは
エディ・クレイマーがミックスする前の、
素の音源とかで聴くと、ジミー先生のリズムが
けっこう大雑把だと判ります。
それがボンゾ&ジョンジーマジックで
素晴らしくなってるわけですが
それでもジミー先生の作った、そのリズムの
ヴィジョンが重要なポイントなのですね。
あくまで、産んだのはジミーである、という解釈です。
だからこそ、それを受信してトリミングして増幅させる
ボンゾ&ジョンジーの素晴らしさも生きる訳で、
これはどちらが欠けても、おそらく駄目です。

他にも好きなギタリストはいますが
例えばレイヴォーンとかもそうなんですが
彼の使う音域というか、
フレーズに使用するスケール感というか、
まったく僕の好みから外れないのが凄いんですね。
これはジミーも同様です。
多分彼等の頭の中にあるスケールと
僕自身のそれが限りなく近いのだと思う。
そういう意味で他のギタリスト、
例えばクラプトンとかとは異なるんです。
クラプトンの弾くフレーズには
僕にとっては不要だなと思う音がある。
似たタイプと言われたジミーマカロック(Wings)
には、それがないです。
ロリーギャラガーとかもそうだったかな。
全然関係ないけど
パイロットのギタリストのフレーズも
不要な音がなかったなぁ。

これらは優劣じゃなくて好みなんですね。
自分の頭の中で鳴っている、
ブルースロックギターというもののスケールがあって
それに合致してるかしてないか。
そのへんの問題なんです。

これ、追求してくと面白そうだよなぁ。

案外、全部どこかの民族の
決まったスケールだったりしてな。
それならそれで自分のルーツと
彼等のルーツが一緒ってことで
実に嬉しいことになるわけですが。
さて。

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2004年6月 4日

ネットラジオ

こないだ、Winampがバージョン5になったんで
ネットラジオステーションを探してみた。
始めはダンス系とかアーバンソウルとか
聴こうと思ってたんだけど
何気なく選局した70-80PopRockチャネルが
とてつもなく素晴らしく、けっきょく
いま一日中そればっかり聴いてます。

サウンドは馴染みのあるものばかりなのに
曲が殆ど聴いたことのないものばかりかかるのです。
すっごいですわ。まじですっごいです。
この世には、こんなにもたくさん良い曲があったのか
・・・って感じ。
作業中も別部屋のWinampが終始流れっぱなしになってる。
itunesも良かったんだけど、あれ聴いてると
Mac側で何もできないからねー。

Winampってのはスキンが充実していて
外見を好きな具合に変えられます。
で、せっかくなんで満喫計画ってことで
古臭いステレオみたいなスキンを見つけてきて
「おー70年代だぜい!」って感じで聴いてます。

CDがどんなにたくさん家にあっても
所詮自分が買ったものだもんな。つまらないです。
それよりは、どこかの誰かが選局したプログラム。
これだ。これこれ。

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えぴー

最近エピフォンのカジノで録音してるんだけど
いろいろいじると良い音になってくる気配ね。
これ、セミアコなので生音が大きくてね、
大きな音が出せない家録音に向いてないので
(アンプを通した音が判りづらい)
使用を避けてたんだけど、ヘッドフォンで
いろいろいじってみると
なかなか良い音がすることが判明しましてね
ああこれなら使えるわねーと思ったというわけです。

私は元ドラマーでして
ライブはピアノ弾き語りでして
ああそれなのに、DrumsとPfは打ち込みで
BassとGuitarsは弾かなきゃいけないという
なんだかネジレたことになってるんですな。
BassもGuitarsも(pfもですけど)
決して上手い訳ではないんで大変なんですけどね。
人に任せるのが嫌なんでがんばってるわけです。

録音始める前は「えーこんなのできないよぅ」
とか思うんだけど、なんとか無理やり形にするのね。
それがまた大変だけど面白くもあり。

Guitarはゾーンが広いので適度にOK出せるんだけど
Bassは人のプレイにOK出すのが難しい。
前に一度、録音で相手に何度も駄目だしして
お互い切れかかったことがあり
それ以来、たとえ下手でも自分で弾こうと思った。
邪魔にならず、しかも良いラインで、というのは
本当に難しいです。

あと思いのほか重要なのが音色なんですな。
これは練れば練るほど良くなるんで
本物のプレイヤーみたいに聞かせるのは
音色造りにかかってると言ってもいいかも。
これがまた面倒なんだわ。
音が出たらとりあえず弾きたくなっちゃうから
テストだと思ってベコベコ弾いてるうち、
それで満足ってなってしまう。
音つくりやタッチは、本当に
研究すればするほど良くなるんですね。

エレキ楽器は生楽器にはかなわない、と
以前言われたことがあって、
そのときも猛然と反論したのだけど
エレクトリックギターの繊細なタッチは
本当に素晴らしい。
研究しても損はないですって感じかな。
フレージングもね。時間が許す限り。
やればやるだけ成果が現れるものだろうな。

ポールはカジノがお気に入りのようで
彼がレコーディングで弾いてるエレクトリックギターは
多分ほとんどカジノなんじゃないかと思う。
彼のは特注でアームとかブリッジとか
換えてあるみたいだけど(左利きだし)。
今回の録音でカジノ弾き込んでみてわかったんだけど
やっぱり徐々に「あの音」になってきます。
ウキウキするよね。買ってよかったな。

しかし、あれ
けっして弾きやすいとは思わないんだけど
ポールも良く使ってたなぁ。
よほど音が好きだったんだろうか。
本来のギタリストじゃない人の耳っていう
なんか独特の視点みたいなものがあるんだろうな。
それが所謂「臭さ」である、と。
勉強になりまっする。

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2004年6月 3日

焼きうどん

正月にセブンイレブンのスパゲティナポリタンを食った。
とてつもなく美味かった。

半年後の一昨日、
セブンイレブンの焼きうどんを食った。
ぶっ倒れるほど美味かった。

セブンの味付けはどうしてこうも素晴らしいのか。
というより、他はどうしてこうできないのか。

近所にセブンしかなくて
もう飽きたとか思っているあなた。
あなたは幸せものです。
私の周りでは、近所にセブンがなくて
泣いている友人がたくさんいます。
彼等はみんなうちに来るたび
今日のごはんはセブンにしようと言い、
わざわざ買いに行きます。
彼等の家の近所にはセブンがなく
うちに来たときしかセブンを食えないからです。

昔、某コンビニでバイトしてたとき
そこの店長に突っ込んだことがある。
ウチの弁当惣菜は不味すぎます、
なぜセブンみたいにできないのか、と。
店長は困った顔で
「セブンがよい業者を全部抑えてしまったので・・・」
と答えました。
店長、答えにくいすよね。スマンかった。

セブンイレブンさえあれば暮らしていけるかもな。
あとはカップめん&お菓子/デザート用として
ファミマがあれば良い。
コンビニはその2店があれば良いです。

隠居して何もすることがなくなったら
一ヶ月間セブン生活とか是非実行してみたい。
それは天国か、それとも地獄となるのか。
いずれにせよ人生捨てることにはなるかも。

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