Live Information 2009

【長崎 Domestic 2009!】

*7月11日
notesシェボンゾ 20時~。チャージ1000円
バンドライブ 第2弾! with ヤンカーバンド


*7月


*8月22日
notesブリックホールラウンジコンサート。無料。

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2009年7月 2日

非常識な人のゴネ得

昔、僕らに対して非礼な態度を取った、ある女性アーティストが、
先日、うちのレーベルのアーティストに、○○の投票応援よろしく♪
などとメールを送ってきたらしい。
本文はコピペだが文頭にちゃんと、宛名が書いてあり、
判ってて送ってるはず、ということだった。

その厚顔さはなんなんだ?自分が過去にやったこと忘れてるのか??
と憤慨しながらも、その後二人で話したのは
「この世界はこういう非常識な奴じゃないと生きのこれないのかもしれないね…」
ということだった。

そういえば、昨年もそうだし、ごく最近もあったことだが、
思い当たるフシはいろいろあるね。


でも、その後いろいろ話して、

でも僕らが知ってる「業界」の人はちゃんとまともな人じゃないか、
っていう話になり、それは大御所だからだよね、という流れになり、
ははあ、だから半端なことしかできないのだね、というオチになった。


でも、やはりゴネ得というものは、どの世界でもあって、
特に僕ら音楽家なんか、もめ事やごちゃごちゃしたこと嫌うから、
そうすると、ともかく大声でわめき散らして、
自分の意見を主張しまくる人が、結局勝ってしまう、
というか、そういう人の思い通りに事が進む、
というのは否めない感もあるね。


僕自身、自分が相当性格も口も悪く常識はずれだと思っていたが、
業界的には屁でもないレベルだと最近気付いた。

上には上がいるものである。

そして思ったのは、僕のこの口の悪さは、
そういう輩と戦うための武器として発達したのかもしれないな。と。


思えば、一昨年くらいから、この地でいろいろなことがあり、
それらに対処するためには、自分も狂気でいなければ平静を保てなかったし、
振り返ると、現実でもネットでもひどい言動はたくさんしたはず、
という自覚症状も少なからずある。

ある種の人には「諍いアドレナリン」というものが過剰分泌されてる気がしてる。
途中まで来ると諍いモードが快感になって戻れない感じ、というか。
好戦的な人は概してそんな感じだね。


そうして全て過ぎ去った今思うのは、
まともな人にしかまともな人は集まらないって事だった。

自分も気を付けないと、と思う。

なかなか、有意義な話題だった気がする。


今回の記事を書くにあたり、インスパイアされたブログがある。
リソースの割き方。Scott’s scribble - 雑記。

いい話なので、是非読んでほしいと思う。

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2009年6月11日

器用貧乏スペシャル

「アンタは器用貧乏だよね」

ものすごくムカつく女が僕に発した言葉である。
20年も前のことだ。しかし一生忘れないだろう。

確かに僕はやりたいことが多すぎて、どれもこれも中途半端だった。

MTRやHDDレコーダがない時代、
僕はテープレコーダを2台繋いで、ダビングの多重録音で曲を作っていた。
当時そのようなアーティスト活動する人はほとんど居らず、
オタクだの暗いだの、さんざん言われた。

曲は元祖「高田馬場」とも言うべきネタ系で、評判は良かったけど、
ライブや外での活動をしない以上、アーティストとしては存在してないに等しかった。
つまり、遊びだと思われていたのだ。

見よう見まねでピアノの弾き語りも始めたが、コードくらいしか弾けず、
歌う曲もカバーばかりでは誰も注目もしてくれなかった。
おまえが歌うと元を歌ってるアーティストのイメージが壊れるから、
それカバーして歌うな、と禁止されたこともある。

そのころから吹奏楽やバンドでDrumは叩いていたが、
あくまで2の次で練習とかしなかったので(それにしてはセンスは良かったんでない?自画自賛w)、
ドラマーとしても認められず、
ライブやハコの仕事先では「あれでドラマー?」などと揶揄されたり、散々だった。

そういったことが続いたあと、僕はそれまでの人生や中途半端な状態を反省し、
何かのスペシャリストになろうと決めた。

ドラマーとして認められなかったことが大変悔しかった僕は、
まず、ドラマーとして極めよう、と心に決めた。
あいかわらず馬鹿にされたり揶揄はされたが、必死に耐えて、あらゆる事に参加した。

キャバレーのハコの仕事が一ヶ月入り、
そこで徹底的にバンマスに鍛えられ人生が変わった。

以前のバンドに戻ったとき、メンバーが言った。
「あんた、実はリズム感良かったんだね、才能ないかと思ってたよ」
これはとても嬉しかった。今でもこの言葉は支えになってるね。

その後バンドは、営業で小ブレイクし、楽しい時を一夏過ごした。

以上のような状況が、僕の20代の全てだ。


30代になり、ドラマーとしてやりたいことはやり終わったと感じた僕は、
次の道へ進もうと決めた。

それが多重録音による曲作りだ。ホテル業との兼業だった。
いや、兼「業」じゃない。曲作りは仕事じゃなかったからな。

僕はホテルという究極の接客業を通じ、
人が何を求めているのか、サービス業というのは何か、身体で学んだ。

臨機応変にお客の希望を先読みし動くことは、
ジャズのセッションにも似ていた。

曲作りに際し、雑多であか抜けないサウンドの原因だった「演奏」を見直し、
Bassやギター、ピアノ、と全ての楽器演奏を死ぬほど追求した。

そして最後に「歌」を徹底的に追求した。

そうしたこと、すべてが曲作りに反映され、
僕の多重録音は「オタクの宅録」ではなくなった。

曲作りと歌が仕事になりそうになったとき、
僕は、そこに集中するため、歌と作曲以外の全てを一旦封印した。
その時点で、僕は「演奏家」ではなくなった。

器用貧乏と馬鹿にされた僕は、そうしてスペシャリストへの道をなんとか歩んだ。


昨年、レーベルを立ち上げ、自分のアルバムを売り、
自分の名前を売って歩くに際して、僕はそれらの封印した技術を徐々に復活させようと思った。

習得した技術は使わなきゃバチが当たるじゃないか。

ZEPブートの研究もアイドル研究もビートルズ分析も、ラジオも。そんでドラムも。
それら雑多な全てが「僕」という一つに集約してくるのだ。

器用貧乏のスペシャリストなのさ。

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2009年5月21日

線維筋痛症について。

芸能界事件簿 故・大杉君枝アナ(2)
http://npn.co.jp/article/detail/68628953/

僕は4年前まで日テレ関係の仕事をしていました。

日テレのアナウンサーで鈴木君枝さん、結婚後の名前は大杉君枝さんですが、
彼女のことを覚えている方もいると思います。

僕も、会社ではよく見かけたし、一度は帰りの電車が一緒になり、
なんとなく至近距離で眺めていたこともあります。

そういうこともあって、僕は君枝さんのことは何となく親しみを感じていました。

その彼女がかかった病気が線維筋痛症というものでした。

その病気を調べるうち、この手記に出会いました。
http://homepage3.nifty.com/fmsjoho/page012.html

僕は、この手記の中の、映画の話、
戦争やホラーの話にものすごく共感しました。
すとーんと納得しました。
そうなんですよ。

人のことは判らないのです。
他人に起こったことの感覚や痛みや喜びやなんかもろもろを、
自分の身に置き換えて、共感できる、というのはかなりの高度な感覚なのです。

相手や登場人物に、自分を当てはめたりするということは、
そういう感覚が身に付いていないと判らないのです。

大変言いづらいことですが、
僕は、よほどの思い入れがない限り、
赤の他人の不幸では泣けない人間です。
たとえば、有名アーティストが亡くなったりした場合でも、
僕は、ほとんど何も感じません。
僕はその人の知りあいでもなんでもないからです。

でも君枝さんのことは共感できるのです。
それは僕が彼女を何度も見ているからです。

話がそれました。

この病気がどれほど壮絶か、というのは
上記の手記をいろいろ読んで頂くと判ります。

どれほどのつらい病気や経験でも、
それを赤の他人に伝えることは、非常に難しいです。

わかりやすく物事を伝える。
これは並大抵の技術じゃないです。

あのサイトの文章は、そういう意味では、
素晴らしい表現の文章だと思うのです。

現に僕は読み進むうち、実際に、
自分自身が同じような痛みを感じるような感覚になりました。

人の気持ちを理解しない、できない僕が、感じたわけです。

なので、普通の喜怒哀楽の持ち主なら、
もっともっと判るはずです。

この病気のこと、また、これ以外でもあまり知られていないこと、
そして、どういう気持ちなのかわかりにくいことを、
このようにどんどん優れた表現者が、表現していくことだと思うのです。

そうすることによって、みんなの感覚や意識が変わってゆくのです。

それは病気とかそういうことだけじゃないです。

音楽やら映画やら、舞台やら、
すべての表現につながることだと思うのです。

君枝さんの身に起こったことはつらく悲しいことでしたが、
最後までメディアの人間として、その仕事を全うされたと僕は思います。

少なくとも、僕は彼女のお陰で、判ったことがあったのです。

感謝します。

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2009年5月17日

三つ子の魂いつまで?

昨日のシェボンゾ、ビートルズセッションご参加の皆様、
お疲れ様でした&ありがとうございました!

普段の自分のレパートリーだけではなく、
昨日は、かつてあり得ないくらいたくさん歌いまくったわけです。

その中にはたぶん10年以上、
ひょっとしたら中学以来歌ってない曲とかあった気がするけど、
それでも歌詞を見ると、けっこうすらすら出てくるもんで驚いたわけです。

僕が普段やるのはポールものが多いのですが、
実はレノンの曲をかっちり歌いたい、という密かなポリシーがあります。
というのは、レノンの曲は実は美メロや音韻がかっこいいのが多いけど、
なかなかそれを「かっちり」表現してる人が少ないと思ってるのですよ。

ラフな人はラフでかっこいいし好きですが、
僕は僕の解釈として、かっちりレノンを歌う、ということを
いつかやりたいと思います。

そういう意味で、昨日「ComeTogehter」を歌わせてもらったのは
非常にうれしく、有意義だったと思ってます。

バンドもかっこよく、気持ちよく「かっちり」歌えました。

また是非やってみたいと思います。

あと、ドラムも一曲たたいた。
密かに特訓して、ドラマーとしても復帰を目指していきます。
お世話になります。


そんな熱い夜をそのままラジオに引きずった結果の
すごい生放送動画がココに。笑。
http://www.stickam.jp/video/178939355

題材が、僕のライフワーク1975年ということもあるけどね、
もう、アホかというくらいテンション高いです。

永久保存版でおねがいしますw

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«三木谷氏すごい。